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平成29年2月

異常気象なのでしょうか?
立春に鳥取には大雪が降りました。
ニュースでしか見れていませんが
北海道の様な景色でした。
立春を過ぎてから寒くなったような気がします。

 先ずもって、1月28日に49歳という若さで亡くなった
森口君に心より感謝を申し上げます。
本当にたくさんのお客さんと会社をつないでくれました。

訃報を聞いた時に、何を言われているのかが全く理解できず、
何度も聞き直しました。
その亡くなる3,4時間前まで一緒に将来の石橋青果がどうあるべきかを
喧々諤々と話し合っていたのです。
なんとなくみんなの妥協点が見つかり、
次は新たに一歩を踏み出そうと決めて

「帰ります」
「お疲れ様でした」
と会話をして森口君の後姿を見送ったのです。

その後姿はいつもと何も変わらぬ姿でした。

残念なのは、彼に本気で運動を進めればよかった。
煙草を取り上げればよかった。
健康になるレールに導けなかったことは心から悔いとなっています。

みんなで力を合わせ、事業部を発展させ、
物心ともに幸福になって欲しかった。
残された森口君の家族が当たり前のことが
当たり前にやって行けることを心から祈るばかりです。

みんなも同じだと思いますが、一緒に働いてくれる仲間が
いなくなるというのは大変な心の痛手です。

私自身、石橋青果で働くみんなが健康で働ける環境を
もっともっと作ってゆかねばならないと思っています。

人はいつかはこの世を去ることとなりますが、
ある意味では先に逝ってしまった方が楽なのかもしれません。
残された者たちは悲しみと共に生活をしなければなりません。

実際、私は今月のはじめに忙しいというのがぴったりです。
忙しいとは心を亡くすと書いてあります。
何をやっていてもどうも何をやっているのかが分らないのです。
心ここに在らずという事なのでしょうか?
私でさえそんなのですから、
奥さんをはじめ家族の方々の心境を思うと、
今とても大変なのだろうなと思います。

言葉は悪いかもしれませんが
先に逝った方が楽だという事はこういうことを
言っているのです。

人は何かの意味が合ってこの世に生まれいずると言われています。
その目的を果たすためには、健康でなければならないとつくづく感じます。

死んでも惜しくない程の対象に出会うことが
生きるという事であると師は教えてくれます。
しかし、いつも死んでは何も残りません。
死んではいけませんと付け加えます。

何かをやり残してことを終えることは“悔い”として残ります。
この悔いという心の傷も生きているからこそ感じることであり、
逝ってしまっては感じることもないのでしょう。

しかし、森口君の営業メモやお客さんとのPCメールのやり取りを
探ってゆくと森口君自身が新規案件を大事に大事に育ててきたことが良く解ります。
この意思を継いでゆくことは、ある意味で彼を弔う事となるのかもしれません。
彼の悔いる気持ちを労わるためにも残された我々は
森口君がつないでくれた沢山の縁を繋いでゆくことなんだろうと思います。

兎にも角にも、健康第一です。悔いを感じることは生きていること。
でも、悔いが残らないような生き方をするととても幸せになると思います。
毎月ですが、まとまりのない文になりますが最後まで読んでいただきまして感謝です。