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平成24年11月 NO.109

このつぶやきも10年目に突入です。
11月の半ばを過ぎても銀杏の葉っぱが緑のままで
木の上の方が赤く色づいている・・・。
銀杏って黄色く色付くはずなのだけどなと、
ここ数日行き交う街角の木々を観察しています。
やっと秋が深まってきました。

 私が社長に就任させて頂いたのが平成8年33歳でした。
自分では若くもないと思っていたのですが、
周りの皆から若いと言われました。
また、佐藤さん熊ちゃんは30代、
中村さんは20代だったのです。
現在私は50歳となり当社の市場のメンバーも
随分年を重ねて参りました。
そして、社会に対しての責任ある年齢になってきました。

私の父母は87歳、79歳となり、
いわゆる老人と呼ばれる年代になっています。
お陰様で元気に暮らしていて本当に有難いです。

年も年ですからどこかが故障しているのは
仕方がないと思っております。

先日、母が検査の為に3日間入院しました。
実は父は少し痴呆の化が出ているようで、
母が入院している間兄弟が交代で父と夜を過ごすこととなりました。

昔は、威厳があり怖かった父の背中が
本当に小さくなり丸まっているのは、
もうずいぶん前から気が付いていた事ですが、
父の痴呆症状と私自信が向き合うのは、
初めての事でした。

実際、ぼけているのかどうかも事実は
私には判りません。

でも、「今何時だ」と横で寝ている私を
何度も起こすのです。
眠気と反対に父がぼけている姿に少しショックを受け、
父をなだめて布団に入れてやりました。

前に女房から聞いたのですが、
父が「長く生き過ぎた」とポツリと言ったそうです。

また、母は糖尿病から食事制限をしなければならず、
食べるものも本当に限られています。
そんな母の姿を見ていると美味しいものを
食べてそのまま死ねるのならそれも幸福かな?
という事を私自身考えてしまいます。

生きると言う事は老いると言う事なのか?

 先日先輩経営者の方からこんな事を聞きました。
60歳になってから考え方が変わったと。
60歳までは今やっている事が未来ずっと続く事を前提に
・・・いわゆる死という事を全く考えずに・・・
物事を考え組み立てていた。
それが、60歳を過ぎたころから自分の人生の終点から
物ごとを見るようになったと・・・。

いわゆる後何年という尻尾から物事を考えるようになったのだと。

我師はいつも「私には時間がない」と言っているのは
この考え方の違いなのだと私は気が付きました。

そんなことを思い出しながら、
眠気と半分どこがスーッと起きている
そんな意識の中で思いを巡らしながら
老いると言う事は何だろうと考えておりました。

実際、私には老いると言うこと自体が判りません。
だから恐怖心もありません。

でも、事実として父が随分老いた姿を見ていて
潜在的に自分の明日の姿を見ているのにも気づいています。

「自分らしく生きる。」

そんな言葉が朦朧とした意識の中ふっと出てきました。
老いる事を恐れるより自分らしく生きればいい。

そんな結論を出した途端、眠りについたようです。

「自分らしく生きる」世の為人の為になる人生が
送れたら本当に最高です。

それは、石橋青果の発展であり、
社員皆の物心両面の幸福をより豊かに実現する事が第一歩です。
その為にはお客さんが喜んでくれる商いをし続けないといけません。

つまらん、つぶやきにお付き合いありがとうございます。