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平成25年6月

5月の下旬に梅雨入り宣言をしてからというもの、
酷暑と言っても過言でない程の暑さです。
日照りの影響は果菜類に大きく影響して、乱高下が続いています。

 6月9日(日)に皆さんを呼び出し白駒妃登美さんの講演を開催しました。
多くの社員の方が聞きに来てくました。
皆さんがどう感じたのか?シェアする間もなかったので、
少しもったいなかったですね。

皆さん話を聞きどんな感想だったのか?
又教えて下さい。
数名の社員の皆さんそして、パートの皆さんの多くが
不参加であったためこの紙面に書ききれるだけ講演の内容をお伝えします。

 白駒さんは、子宮頸がんが肺に転移し、
主治医からは、治る見込みがないと宣告された方です。

二人の子供の母であり、この時、
下のお子さんはまだ小学生になったばかり。

自分の病状をとても苦悩されていました。

そんな状況の中で「生」への希望を持ち、
なんとか病気と闘い子供と一日でも長く一緒に
過ごしたいと考えていたそうです。

しかし、病気と闘えば闘うほど、
がん細胞は増えるばかり。

そんな生活の中で歴女として出版の話が…。

そのきっかけは、尊敬する作家に出会い、
幕末や明治維新について語り合ったこと。

その方の勧めで歴史のエピソードをブログに書き綴るうちに、
出版社からそのブログを本にまとめないかとの話があったそうです。

でも、この時、半ば覚悟を決めていた白駒さんは、
残された時間をすべて子供のために使いたいと、
出版の話を一旦はお断りしようとしたそうです。

ところが、ここからが歴女たる所以です。
歴史上の人物を親友のように思っている白駒さんは、
正岡子規に相談したそうです。

正岡子規は、病魔と闘いながら、
亡くなる前日まで執筆活動を続け、
短歌や俳句を革新した人です。

白駒さんは、子規のようにあきらめもせず、
執着もせず、「今」という一瞬一瞬を大切にしようと考え、
出版を引き受けることにしました。

すると、彼女の心の中に変化が生まれました。
何かと闘うのではなく、今、目の前にある事を
「感謝を持ってやらせて頂く」というふうに。

そして、執筆するからには、
一日でも長く生きられるようにと、
がん治療に取り組む事を決意。

病院のベッドが空くのを待つ事、数週間。
病院へ行き抗がん剤治療をする為に再度検査をした所、
なんと癌がなくなっていた!

白駒さん曰く、目標に向け何かと闘い誰かと争い、
常に勝ち組であり続けることを目指す
アメリカ型の成功哲学から解放され、
与えられた環境を受け容れ、
感謝し、ご縁をいただいた人たちを笑顔にするために、
自分に出来る精一杯のことを、
心を込めて行う…という、日本人らしい生き方を
取り戻したから癌細胞がなくなったのかな、と…。

日本人の生き方を取り戻したことで、
遺伝子がスイッチオンになって、
自然治癒力や免疫力を発揮したのではないか、
そんなふうに白駒さんは考えているそうです。

そんな彼女が東京オリンピックを
成功に導くために東奔西走したフレッド和田さんの話を
我々にしてくれました。

この紙面では書ききれないので、
フレッド和田さんの話を聞きたい人は、
私を呑みに誘って下さい。

日本人が日本人らしく生きる。
これって結構大切なことだと感じるし、
自らの人生を豊かにする大きなキーワードだと思います。