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25年11月

社長のつぶやき 266                2025年11月7日 
 
 朝夕がやっと冷えてきて鍋ものが食べたいという気温になってきました。キャベツ白菜に関しては昨年の様な高騰は無いようですので皆さんには沢山の野菜を食べていただきたいです。少し心配なのがキュウリ・トマトなどの果菜類が高騰していることです。これも夏の酷暑が大きく影響しているそうです。
 2ヵ月もの政治空白の後やっと高市政権が出来上がりました。昨年の11月に高市さんの講演を聞いたことがありますが自らの哲学をしっかりと持った方だと感じていました。彼女のこれからの手腕に期待をするばかりです。
高市さんは保守派として知られており、東アジアの国々からは日本が軍国化してゆくという懸念もあるようです。米国に守ってもらうというのは現実的ではないのでしっかりと自立した国家としては軍備の増強も必要なのかもしれません。
しかし、根本的には戦争をしなければ各国とも軍備を持つ必要もありません。
思風先生からとてもいい話を聞かせてもらいました。
 人類史は、戦いの歴史であると言っても過言ではありません。自然界の食物連鎖を見れば世界は弱肉強食であることは間違いのないことです。人間の特性として勝つ事を喜びとし、スポーツでも勝ち負けに対して一喜一憂しています。食べ物を奪い合い、資源を奪い合うために己の領土であることを主張し戦争をする。
人間には闘争本能が備わっており、戦うことが宿命であり、戦うということが本能的な行為であるというのが今までの学説であります。
では、人には闘争本能があり軍備を持たない各国にすることは無理であるのか?
多くの学者は無理であると言うが、思風先生は答えのない問題はないという。
人間は問題を解決するところに成長があるのだと先生は言います。
 本来、人間は皆と誰とでも仲良くいきたいというのが根底にあるのです。人間には自分や家族などを守ろうとする本能があります。これは防衛本能なのです。防衛本能が命の危険を感じると敵に立ち向かうという闘争本能に変化するだと聞きました。要するに命の根底にある本能は防衛反応なのです。
宗教で争うことがいかに愚かな事かというのが日本人は理解しています
人は生まれた時に考え方の違いなどはありません。体験と経験の違い、知識や情報そして解釈の違い、またどんな出会いがあったかで後天的に考え方の違いが出てくるものなのです。この違いが対立を生んでいるということに気が付くこと。
 何か違うということは、自分が持っていないものを相手が持っているということなのです。こうした違いを認めることが争いをなくしていくことにつながる。
もっというと考え方が違う相手から学ぼうとする考え方をかえることが争いをなくすことになるのだと、思風先生に教えてもらいました。
この考え方が「愛」を能力として使うということなのです。
 戦争をなくすためには我々国民が誰とでも仲良くできる愛の能力を伸ばすことが必要です。これは、会社や社会で相手の違いを認めてお互いに相手の事を知り合い、お互いに考え方を成長させていくことになります。
 これからの世界が一切の軍備を持たない国々になることを祈るばかりです。