出張のために午前9時頃に地下鉄に乗った。
高年齢の方が沢山乗降車している。
座っていたが混雑してきたので席を立った。
でも、スマフォをして気づかないふりをしている
人たちがいるのはとても悲しい光景です。
人と人が譲り合う心をなくしたら
人間関係は良くなるはずはない。
名古屋中央卸市場から野菜果物の仲卸・外食産業へ業務用小分け配送
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出張のために午前9時頃に地下鉄に乗った。
高年齢の方が沢山乗降車している。
座っていたが混雑してきたので席を立った。
でも、スマフォをして気づかないふりをしている
人たちがいるのはとても悲しい光景です。
人と人が譲り合う心をなくしたら
人間関係は良くなるはずはない。
忖度(そんたく)という言葉を行政と立法府での
やり取りに最近よく耳にする。
忖度:人の気持ちをおしはかることという意味。
こんなことってあっていいのか?
役人は政治家のトップの言う事はおしはかる。
税金を支払っている我々はおしはかってもらえることが
ないという事だよな・・・・。
長い物には巻かれよというけど
許せん!
自宅から名古屋駅まで地下鉄でほぼ35分
夕方名古屋駅に向かう社内は結構すいている。
一人で乗車している方の8割以上の方はスマホに夢中。
3月に入ってからはリクルートスーツが目立つように。
目の前の女子学生は時事問題という本を読んでいる。
時事問題も大切だけどもう少し足をそろえて座ったほうが良いかも
物を売るという事は、自分自身を売るという事
営業の原点は商品を売ることではなく
自らの信用を勝ち取り信頼を得るからこそ
その商品を買うのだと思う。
我々はルートの営業です。
毎日の我々の行動をお客さんは見ています
その積み重ねが信用を生み、信頼につながる。
営業職も配送職もお客さんにかかわる人は一緒ですね。
名古屋市の目抜き通りを我々の為に
譲ってくれた名古屋市民の方
大会運営にご尽力をしてくれた方
沿道で声援を送り続けてくれた方
今年も皆に感謝です。
ありがとうございました。
命の儚さを痛感します。
仲卸の会、会長の急逝の知らせが届いた。
私より1歳上でした。
12月アメリカサンフランシスコでは
一緒にダウンタウンを早朝ランニングし
1月には石垣島で新しい事業の事を語り合った。
どういう理由で逝ってしまったのか、今は分かりませんが
最後にお顔を拝見してきます。
兎に角皆さん健康に留意してください。
異常気象なのでしょうか?
立春に鳥取には大雪が降りました。
ニュースでしか見れていませんが
北海道の様な景色でした。
立春を過ぎてから寒くなったような気がします。
先ずもって、1月28日に49歳という若さで亡くなった
森口君に心より感謝を申し上げます。
本当にたくさんのお客さんと会社をつないでくれました。
訃報を聞いた時に、何を言われているのかが全く理解できず、
何度も聞き直しました。
その亡くなる3,4時間前まで一緒に将来の石橋青果がどうあるべきかを
喧々諤々と話し合っていたのです。
なんとなくみんなの妥協点が見つかり、
次は新たに一歩を踏み出そうと決めて
「帰ります」
「お疲れ様でした」
と会話をして森口君の後姿を見送ったのです。
その後姿はいつもと何も変わらぬ姿でした。
残念なのは、彼に本気で運動を進めればよかった。
煙草を取り上げればよかった。
健康になるレールに導けなかったことは心から悔いとなっています。
みんなで力を合わせ、事業部を発展させ、
物心ともに幸福になって欲しかった。
残された森口君の家族が当たり前のことが
当たり前にやって行けることを心から祈るばかりです。
みんなも同じだと思いますが、一緒に働いてくれる仲間が
いなくなるというのは大変な心の痛手です。
私自身、石橋青果で働くみんなが健康で働ける環境を
もっともっと作ってゆかねばならないと思っています。
人はいつかはこの世を去ることとなりますが、
ある意味では先に逝ってしまった方が楽なのかもしれません。
残された者たちは悲しみと共に生活をしなければなりません。
実際、私は今月のはじめに忙しいというのがぴったりです。
忙しいとは心を亡くすと書いてあります。
何をやっていてもどうも何をやっているのかが分らないのです。
心ここに在らずという事なのでしょうか?
私でさえそんなのですから、
奥さんをはじめ家族の方々の心境を思うと、
今とても大変なのだろうなと思います。
言葉は悪いかもしれませんが
先に逝った方が楽だという事はこういうことを
言っているのです。
人は何かの意味が合ってこの世に生まれいずると言われています。
その目的を果たすためには、健康でなければならないとつくづく感じます。
死んでも惜しくない程の対象に出会うことが
生きるという事であると師は教えてくれます。
しかし、いつも死んでは何も残りません。
死んではいけませんと付け加えます。
何かをやり残してことを終えることは“悔い”として残ります。
この悔いという心の傷も生きているからこそ感じることであり、
逝ってしまっては感じることもないのでしょう。
しかし、森口君の営業メモやお客さんとのPCメールのやり取りを
探ってゆくと森口君自身が新規案件を大事に大事に育ててきたことが良く解ります。
この意思を継いでゆくことは、ある意味で彼を弔う事となるのかもしれません。
彼の悔いる気持ちを労わるためにも残された我々は
森口君がつないでくれた沢山の縁を繋いでゆくことなんだろうと思います。
兎にも角にも、健康第一です。悔いを感じることは生きていること。
でも、悔いが残らないような生き方をするととても幸せになると思います。
毎月ですが、まとまりのない文になりますが最後まで読んでいただきまして感謝です。
我々は宇宙で生きる一人である。
と、昨日思風ちゃんから聞いた。
宇宙で生きると聞くと大きすぎるので
社会で生きる一人であると解釈をすると
解りやすいと思う。
社会で生きる一人であるという意識で
いろんなことを見直す必要があると思う。
大きな目で見ることが大切です。
昨日は健康診断
今日もありますので受けていない人は必ず受信してください。
健康診断をしていてなんとなく自らの老いを感じる。
視力が悪くなっただけれども、なんとなく感じる。
考えてみれば、遡れば人間の寿命は50年
“人間50年”平敦盛の世界を考えれば私の年が寿命。
誰しも老いとの戦いですね。これからは・・・。
若いつもりでいても、いつかは老いる。
最近、ちょっと多用・・・・。
本日にやらなくてはならない仕事を
書き出してから仕事をする。
どんなにちょっとしたことも書き出しておくと
思ったより仕事が早く片付いてゆく。
なれない仕事もあるので書き出してからやりだしたが
これはとても有効である。
皆さんにも勧めます。