米作りを考えるとトラクターなどの進化により便利になった。
米作りは個々の家庭で行うというよりは地域で行うことが当たり前であった。
部落の人々が協力をしあってお互いの田んぼに稲を植えることは
ある意味では強制的な仕事であったのかもしれません。
しかし、地域の祭りなどで仲間が生まれ、助け合いもあったと思います。
現代は一人でトラクターを運転し大きな面積に稲を植えることができる。
部落から人が減り、祭りも開催できない地域が出てきた。
都会では核家族化になり、孤独死が問題になっている。
便利になり、機械化が進みひとりできる仕事が多くなったけど
仲間という大切なかかわりを失ったような気がする。
便利さの裏側
私の子ども頃の手習いとしては習字とそろばんが主流であった。
最近、書道教室もそろばん教室も当時と比べると減っていると思う。
社会人になると計算が必要だからとそろばん教室に通った。
電卓という便利な機械が生まれてからの半世紀?で
暗算をする機会がうんと減っている。
演算もパソコンが難なくこなしてくれる。
二桁の暗算も最近できなくなったのは、老化のせいだけではない。
電卓からタブレットという便利な機械により我々は暗算をするという
大切な能力を縮小させている。
進化は退化を生んでいる。
便利さの裏側
江戸時代に帰ることはできないが少し考えてみる。
当時の移動手段はほぼ歩くしかない。
当時かごに揺られるのも相当に体力を使ったという。
産業革命後、長距離移動は鉄道やバスに利用が当たり前となる。
現代は車やバイクでの移動は当たり前のこと。
1Km先に行くのにも多くの人は車を利用する。
便利さの裏側に、足腰の退化があるのでは?
お伊勢参りのために、2~300km歩くことが当たり前だったことを考えると
進化は退化を生む
生き方
ふと考えた、自らが更に老いていく過程で
死を待つ生き方をするのか?
寿命を全うしようと意思を持って生きるのか?
意思を持って生きるということは
大きな困難も現れるのだろう。
問題はその人の人格を高めるに違いない
生き方
稲盛和夫著「生き方」は私のバイブルです。
人生の結果=考え方×能力×熱意
世の中に貢献しようとする正しい考え方で
自分の能力を磨き、発揮する。
その為には、高い目標を掲げ
やり遂げるという熱い思いと日々の行動が大切。
魅力ある人間はいつも心に火種を持っている。
生き方
還暦を過ぎ自分自身老け込んだとは思っていないが
自分の寿命は限りがあるものだと意識をするようになった。
明日が必ずあるとは限らないと考えて生きると
一日にやり残すことがもったいないと思える。
若かりし頃に沢山の時間の無駄をしてきたので
大変にもったいないと感じている。
権利と義務
義務を果たさないのに権利はないという
考え方をする人が多いと思う。
しかし、権利は生まれた時からあるという。
「働かざる者食うべからず」
こういう精神から義務を果たさなければ権利が発生しない
と、いう考え方に昭和の人間は至ったのであろう。
私自身、権利のみを主張することはとても醜いと感じている。
権利と義務
会社においても権利と義務は発生している。
しかし、国との約束とは少し違う。
労使関係も変化をしている中で権利と義務はルールとマナーと
言い換えられるのかもしれない
就業規則というルールで権利が守られ、
義務は会社でのマナーによる。
権利と義務
国民の権利は放棄出来るけれど国民の義務は放棄できない
なぜならば、国民の義務は費用をねん出するためにあるから
納税であり、労働であり、教育を受けさせる義務
この義務については国を豊かにするために必要な費用と考えれば
皆の生活向上につながる。
権利と義務
権利は生まれた時から発生をしている。
生まれたばかりの子どもに納税の義務はない
納税していないからと言って道路を歩けない訳ではない。
しかし、義務を果たさずに権利だけを主張されると
とても不愉快に感じるのは私だけではないはず。