AIの普及がすごい。
少し前はググるということだったが今やAIに聞く。
なんでもそれなりに教えてくれる。
恋愛を見つけるのもAIにお願いするという。
人間は意思を持つ動物であり
感性により瞬時に判断をしていると思う。
しかし将来、AIの言いなりなる、AI教の信者が現れてきそう。
進化は退化を生むが人間が人間として生きるために
意思を無くすことはあり得ないと思うのだがAIとの共存はいかにしたものか?
便利さの裏側に
スマフォの普及率は総務省のデータで90.5%となっています。
日常の会話をするLINE、PAYPAYなどの現金決済から銀行の決済、
あらゆることがスマフォから出来る様になっている。
未就学児までがスマフォを操り簡単便利な機械である。
SNSでつながるとそれは仲間なのだろうか?
スマフォの長時間使用が問題になってきている。
ゲームを夜な夜なやりすぎて寝不足、ひいては体調不良になる。
賭博をしている感覚がなくとも犯罪に引き込まれる
などなど、スマフォの便利さの裏側にも気を付けなければならないことが沢山ある。
便利さの裏側に
私が市場で働き始めた頃から携帯電話が生まれた。
ショルダー型の電話機は当時ビジネスマンでも相当に
地位の高い、もしくは利益を上げている人が使っていた。
私が持てるようになったころから急激に普及し、今や2台持ちも当たり前。
携帯電話が普及してからは、仕事を進める速度がとても早くなった。
いついつまでに見積もりをくださいが、電話で「いくら?」と代わった。
ビジネスの速度が速くなった見返りに、時間の余裕がなくなり
残念ながらONとOFFの境目がだんだんと見えなくなった。
便利さの裏側
米作りを考えるとトラクターなどの進化により便利になった。
米作りは個々の家庭で行うというよりは地域で行うことが当たり前であった。
部落の人々が協力をしあってお互いの田んぼに稲を植えることは
ある意味では強制的な仕事であったのかもしれません。
しかし、地域の祭りなどで仲間が生まれ、助け合いもあったと思います。
現代は一人でトラクターを運転し大きな面積に稲を植えることができる。
部落から人が減り、祭りも開催できない地域が出てきた。
都会では核家族化になり、孤独死が問題になっている。
便利になり、機械化が進みひとりできる仕事が多くなったけど
仲間という大切なかかわりを失ったような気がする。
便利さの裏側
私の子ども頃の手習いとしては習字とそろばんが主流であった。
最近、書道教室もそろばん教室も当時と比べると減っていると思う。
社会人になると計算が必要だからとそろばん教室に通った。
電卓という便利な機械が生まれてからの半世紀?で
暗算をする機会がうんと減っている。
演算もパソコンが難なくこなしてくれる。
二桁の暗算も最近できなくなったのは、老化のせいだけではない。
電卓からタブレットという便利な機械により我々は暗算をするという
大切な能力を縮小させている。
進化は退化を生んでいる。
便利さの裏側
江戸時代に帰ることはできないが少し考えてみる。
当時の移動手段はほぼ歩くしかない。
当時かごに揺られるのも相当に体力を使ったという。
産業革命後、長距離移動は鉄道やバスに利用が当たり前となる。
現代は車やバイクでの移動は当たり前のこと。
1Km先に行くのにも多くの人は車を利用する。
便利さの裏側に、足腰の退化があるのでは?
お伊勢参りのために、2~300km歩くことが当たり前だったことを考えると
進化は退化を生む
生き方
ふと考えた、自らが更に老いていく過程で
死を待つ生き方をするのか?
寿命を全うしようと意思を持って生きるのか?
意思を持って生きるということは
大きな困難も現れるのだろう。
問題はその人の人格を高めるに違いない
生き方
稲盛和夫著「生き方」は私のバイブルです。
人生の結果=考え方×能力×熱意
世の中に貢献しようとする正しい考え方で
自分の能力を磨き、発揮する。
その為には、高い目標を掲げ
やり遂げるという熱い思いと日々の行動が大切。
魅力ある人間はいつも心に火種を持っている。
生き方
還暦を過ぎ自分自身老け込んだとは思っていないが
自分の寿命は限りがあるものだと意識をするようになった。
明日が必ずあるとは限らないと考えて生きると
一日にやり残すことがもったいないと思える。
若かりし頃に沢山の時間の無駄をしてきたので
大変にもったいないと感じている。
権利と義務
義務を果たさないのに権利はないという
考え方をする人が多いと思う。
しかし、権利は生まれた時からあるという。
「働かざる者食うべからず」
こういう精神から義務を果たさなければ権利が発生しない
と、いう考え方に昭和の人間は至ったのであろう。
私自身、権利のみを主張することはとても醜いと感じている。